本ページはプロモーションが含まれています。

【特集】マリンピア松島水族館、閉館から10年。その歴史と仙台うみの杜への継承

2015年5月10日。多くの宮城県民、そして観光客に惜しまれながら、88年という長い歴史に幕を閉じた「マリンピア松島水族館」。日本三景・松島の地で、世代を超えて愛された海の仲間たちの家は、なぜ移転の道を選んだのでしょうか。閉館から10年以上の時が流れた今、その歩みを振り返ります。

88年の歴史が刻まれた、日本有数の老舗水族館

マリンピア松島水族館の歴史は、1927年(昭和2年)にまで遡ります。松島湾に面した絶好のロケーションに開館し、当時は日本で2番目に歴史の古い水族館とも言われました。戦時中の一時閉鎖を乗り越え、戦後は日本の復興と共に歩みを進め、多くの人々に夢と感動を与え続けました。

昭和の面影を色濃く残すレトロな雰囲気、生き物との距離が近いアットホームな展示、そして名物だったマンボウや愛らしいイロワケイルカ(パンダイルカ)たちは、訪れる人々の心に深く刻まれています。「初めてのデートがここだった」「子どもの頃、親に連れてきてもらった場所に、今度は自分の子どもを連れてきた」など、県民一人ひとりに、この水族館にまつわる思い出がありました。

松島の関連記事こちら

移転を決断させた「老朽化」と「東日本大震災」

長年にわたり愛されてきた一方で、施設の「老朽化」は深刻な課題でした。80年以上が経過した建物や水槽は補修を重ねて維持されてきましたが、抜本的な改修や拡張には限界がありました。松島の景勝地という立地ゆえに敷地も手狭で、生き物たちにより良い飼育環境を提供し、展示内容をさらに充実させることも困難な状況でした。

そして、その決断を後押しする大きなきっかけとなったのが、2011年の東日本大震災です。幸いにも津波の直接的な被害は免れたものの、建物は大きな揺れで損傷し、ライフラインの寸断は生き物たちの命を脅かしました。スタッフの懸命な努力で乗り切りましたが、この震災は施設の脆弱性を浮き彫りにし、将来を見据えた安全で持続可能な運営体制の必要性を痛感させる出来事となったのです。

「お引っ越し大作戦」と涙のフィナーレ

移転先として、仙台港背後地の広大な敷地が選ばれました。そして2015年5月10日の閉館日、マリンピア松島水族館には最後の一日を共に過ごそうと、開館前から長蛇の列ができました。別れを惜しむ来館者たちの温かい拍手の中、最後のイルカショーが行われ、88年の歴史に静かに幕が下ろされました。

閉館後、水族館史上最大ともいえる「お引っ越し大作戦」が始まりました。イルカやアシカ、ペンギン、そして数万匹の魚たちを、松島から約15km離れた仙台港の新施設まで安全に輸送する一大プロジェクトです。生き物へのストレスを最小限に抑えるため、専門の輸送車両を使い、深夜から未明にかけて慎重に作業が進められました。この様子は多くのメディアで報じられ、無事に引っ越しを終えたニュースに多くの人が胸をなでおろしました。

未来へ継承、「仙台うみの杜水族館」の誕生

そして2015年7月1日、マリンピア松島水族館の歴史と命を受け継ぎ、「仙台うみの杜(もり)水族館」が華々しくオープンしました。

新しい水族館は、近代的な設備と広々とした空間が特徴です。日本の海、特に豊かな三陸の海を再現した巨大な水槽「いのちきらめく うみ」は圧巻の一言。屋根付きの全天候型スタジアムで行われるイルカ・アシカのパフォーマンスは、よりダイナミックに進化しました。

単なる「移転」ではなく、これは「継承」です。マリンピア松島水族館で長年生き物を育ててきた飼育員スタッフの多くが、そのまま新水族館に移り、その知識と愛情を注いでいます。マリンピアから引っ越してきた生き物たちも、新しい環境でのびのびと暮らし、訪れる人々を迎えています。

まとめ

マリンピア松島水族館は、建物こそなくなりましたが、その魂は消えていません。松島の地で88年間にわたり育まれた「海を愛する心」は、仙台うみの杜水族館へと確かに受け継がれ、新たな物語を紡いでいます。かつて松島でマンボウに目を輝かせた子どもたちが、今では親となり、我が子を連れて仙台うみの杜水族館を訪れる。世代を超えた思い出のバトンは、これからも受け渡されていくことでしょう。

東北
iapannabi0316をフォローする
タイトルとURLをコピーしました